『PMレコード』

日本プロレタリア音楽同盟は『PMレコード』というシリーズで、レコードを3枚発売していました。

1931年7月23日に東京四谷の二葉保育園で行われたPM第1回大会の『報告議事草案』の「発表活動」には、次のように、レコードを出すことの意義が書かれてあります。

レコードによる発表活動
このレコードによる発表はその必要を早くからと考へられてゐたのであるが、充分な経済的な審議の結果、遂に「PMレコード」第一号として四月末に発表された。内容は最初の計画として四部合唱「メーデー歌」と「ラララ行進曲」で、技術的には決して好いものとは言へない。然しながらこの計画を知るや、その反響は日本全国からおこされ、内地は勿論朝鮮、台 (1字空白)、北海道、樺太等から申し込みを受け、約三〇〇枚余り発行された。
技術的にはもっと深い研究によってより効果的なレコードとする事が必要であるが、それは第二第三と追々に解決されて行くであろう。これによってプロレタリア歌曲の統一的な大衆化が行はれるであろう。

また、1931年4月18日発行の『PMニュース』第十号には、「聞け!PMレコード」と題して次のような記事があります。

我々のうたの発表形式の一としてかねてから計画されてレコード吹込が愈実現されるぞ!我々のPMレコードは何処でどう言う風に使はれるか?その返(ママ)で売ってゐるインチキジャヅ小唄なんぞと同じに考へたら大きな誤だ。今後第二第三と連続的に吹込んで行くつもりだが、我々のPMレコードは飽くまでも斗争の武器として労働者農民自身がその日常の中にとり上げられてあらゆる斗争場裡に於いて集会にその始めと終りに蓄音器にかけるとかストライキの時そのたまりに置いてレコードに合はせて皆でうたふとかなされてこそ始めてPMレコードの意義があるのだ。このレコードの予約募集依頼約半月の間に実に百枚に近い申込を受けてゐる。だが更にこのPMレコードの意義を全国津々浦々の労働者農民諸君につたへ、日本は勿論の事全世界に我々のレコードを響かせろ!

さらに、1931年7月9日発行の『PMニュース』No.12(第十号であったりNo.12であったりと、統一されていません。さらにいうと、『PMニュース』ではなく『日本プロレタリア音楽家同盟ニュース』とタイトルも不統一な号もあります)には、レコード第一号について次のように記載されています。

PMレコードは俺たちの手で!
俺たちのレコードはすでに二百七十枚ばかり出てゐるが後まだ二百枚と少し売らなければ全部済まないのだ、之が全部出なければ第二号を労農大衆の前に送り出す事が出来ないのだ。
早く後二百枚を俺たちの手で配布しやう。早ければ早い程第二号は出るのだ。すぐ第二号を吹込むやうに努力しようではないか俺たちのレコードは遠く米国の方にも行ってゐて向ふの労働者の間でとても評判がいゝぞどしゝ後を吹込まれるやうに同盟員全体関心を持って俺たちのPMレコードをもっと宣伝しようではないか。

なぜ、第一号が充分に売れていない状況で、第二号のことにまで言及をしているのか。その答えは音楽同盟書記の河野さくらが書いた『現代日本の作曲家シリーズ・別冊① PMの思い出 日本プロレタリア音楽(家)同盟1930〜1934』にあります。

さて、前章のPM第二回音楽会をともかく効果的に終えた翌日、三月三十日、意気軒昂のさめない感動のまま、私たちは田端のポリドールのレコード吹込所に集まった。
「レコードがどんなに大衆的であるか。しかしどれもこれも支配階級の利益になるようなものばかり。そこへ、いよいよ真のプロレタリアのレコードが出現する運びになった。PMレコードは諸君の間に労働者農民の間にわれわれの闘争歌を送ることができる。そして諸君の激励者として慰安者として、工場に農村に闘争の武器として、その力を発揮するのだ」と、一九三一年初頭のPMニュースはアピールしている。ナップ所属の私たち同盟員の住居のどこにもラジオ一台なかった時代の話である。レコードというマスメディアが歌謡曲の出現によってその地位を社会的に確立した年だった。(中略)
資料によると、第一号の「ラララ行進曲(インタナショナル)」と「メーデー歌」、第二号の「団結の力」「憎しみのるつぼ」「掲げよ赤旗」は同時に吹き込まれている。カネがないので、まず第一号を売り出し、売り上げで第二号のプレスをとろうという算段だったわけだ。PM組織の存在四年間に、資金さえあればレコードは定期的に制作され続けられていたであろう。レパートリーに不足はなし、配布網は広がっていたし、検閲の目をくぐることもレコードは可能だった。しかし、レコード会社に支払うまとまったカネをつくるのが貧乏が悩みのPMには難しかった。だから第三号「芝浦」と「鐘が鳴れば」が吹き込まれたのは、ずうっと後のことになる。


『PMレコード』第一号



「四部合唱 メーデー歌(上)」
「四部合唱 メーデー歌(下)」
歌唱 日本プロレタリア音楽家同盟合唱隊
   東京左翼劇場
   新築地劇団有志
発売 1931年5月
価格 80銭
送料 20銭 満台蒙 60銭

メーデー歌(下)というのは「インターナショナル」の歌詞を全て「ラララ〜」に置き換えた「ラララ行進曲」です。そのままの歌詞にすると検閲に引っかかるために取られた措置です。

『PMレコード』第二号



「合唱 憎しみのるつぼ」
「男声合唱 団結の力」
「合唱 高く掲げよ我らの旗」
歌唱 日本プロレタリア音楽家同盟合唱隊
   東京左翼劇場
   新築地劇団有志
発売 1932年
価格 80銭

『PMレコード』第三号



「赤衛軍歌 鐘が鳴れば」
「四部合唱 芝浦」
歌唱 日本プロレタリヤ音楽家同盟合唱隊
発売 1932年7月
価格 90銭
送料 内地20銭 満州60銭


PMレコードは以上の3枚が吹き込まれて発売され、第四号については、計画のみに終わったと考えられてきました。しかし、私の所有する『コップ第三回拡大中央協議会への報告書(草案)』によって、第四号が1933年9月下旬に吹き込まれ、曲目が「赤旗」と「勝利」(十月への途ーソヴェート歌曲)だったということ、また、それがプレス差し止めになり、発売には至らなかったことが新たに分かりました。

第一号は500枚とそもそもの発売数が少なく、古書市場と比べSPレコード市場は狭いため、第二・三号を含め発見・入手は非常に困難です。You Tubeに全曲をアップしている方がいるので、若干枚数は現存しているのでしょう。『革命のうたごえ』には「鐘が鳴れば」「芝浦」「ラララ行進曲」の3曲が収録されています。

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