『禁止せられたる社会主義宣伝歌(大正十二年以降)』

 



どこの誰がいつ作ったものか(もちろん戦前の権力側には違いありませんが)、手掛かりがなにもない、表紙・裏表紙含めて30ページの冊子です。

薄い紙をホッチキスひとつで留めただけの、簡易な作りとなっています。

『禁止せられたる社会主義宣伝歌』というタイトルは、以前に紹介した『自大正七年至昭和三年』と同じですが、こちらは大正12年以降のものに限られています。

曲目は以下の通りです。(下線)は歌い出し部分です。

・革命歌(嗚呼革命は近づけり)
・鐘ヶ淵紡績女工の歌(あれ見よゝたらりゝ)
・農村革命の歌(無智と笑はれさげすまれ)
・革命歌(赤旗一度破れば)
・労働歌(白虹天を貫ぬきて)
・労働歌(ドンランアクナキ資本家ノ)
・ブチコロセ(いざやっ付けろ喰ひ付け)
・赤旗の歌(民衆の旗赤旗は)
・革命安来節(春が来やうが 冬寒むからうが)
・水平歌(あゝ解放の旗高く)
・悲しみの深き日よ(東雲のあけぬまに)
・ヤツ付ケロ節(弱者ノ血肉ヲ吸ヒ取リテ)
・分からない歌(あゝ分らない分らない)
・ロードウ運動(モモタロー歌)(モモカラウマレタモゝタロー)
・もしゝかめよの歌(もしゝかめよかめこうよ)
・ラッパ節(貴婦人の頭に光るは)
・復讐の歌(亀戸の森の夜は更けて)
・宣傳歌(小作百姓の戦術を)
・労農党宣伝歌(一致団結赤旗立て)
・労農ロシア(都の真中千代田の森に)
・告別の歌(噫々我が愛する同胞よ)
・朝鮮革命歌(邦訳)(吾等は何時まで屈するや)
・黒殺の歌(復讐の剣胸に秘め)
・宣傳歌(ワシントンの譜)(黒旗高く打ち振って)
・弾圧の斧(赤旗ノ節)(弾圧の斧ひらめきて)
・東京青年同盟の歌(同志よ固く結べ)
・復讐の唄(二八の日恨みの日)
・「テロリスト」の唄(我等は宥さす無産者の)

『禁止せられたる社会主義宣伝歌(自大正七年至昭和三年)』と被っているものが多くあり、「朝鮮革命歌」や「黒殺の歌」など、この2冊でしか確認出来ない歌が多数あります。

そして、この『大正十二年以降』版にのみ載っているものがあり、『日本の革命歌』にも未掲載であり、新発見と思われるので紹介しておきます。

「ヤツ付ケロ節」(大正十二年五月十二日禁止)
弱者ノ血肉ヲ吸ヒ取リテ ソシテ贅沢サラス奴
彼奴此奴ノ容赦ナク 片ツ端カラヤツ付ケロ
恨ミ重ナル資本家ノ ガキモ憎ケリャ嚊マデ
ソレニ飼ハルゝチンコニモ 倶ニ敵ダヤツ付ケロ
借家ノ払底ニ付ケ込ンデ 矢鱈ニ家賃ヲ値上スル
業慾家主ノ足腰ノ 立タナクナル迄ヤツ付ケロ
紳士面シテ悠然ト 構ヘテフンゾリ返ル奴
タトヘ官吏カ社員テモ 横面ポカリトヤツ付ケロ

〈悠然ト〉としていますが、判読が難しく、誤っている可能性もあります。〈社員〉というのも、なぜ攻撃対象になるのか不明です。月給制で働いているエリートという立場だから、なのでしょうか。


「復讐の唄」(昭和四年十二月十七日禁止)
一.二八の日恨みの日我等は同志に誓ふ
 夛は盡き刀は折れて囚はれ行きし同志
 溯る二二の犠牲者の此の血汐
 復讐せん今こそは吾等の赤旗の下に
二.暴虐の悪地主庄司の為めに死せる
 吾が父も吾が母も吾等は今日恨み燃ゆ
 この霊に手向けん彼の首
 復讐せん今こそは吾等の赤旗の下に
三.鉄窓の中よりは同志の吠ぞ聞ゆ
 行先の地底には搾取に死せる古憤
 法律と権力に斃れたる同胞よ
 復讐せん今こそは吾等の赤旗の下に

こちらも判読が難しく、1番〈夛は盡き(おおくはことごとき)刀は〉としましたが、やや不自然な日本語になるので、違うかもしれません。2番〈庄司〉は荘官(庄屋のような立場)のことで、これで意味は繋がりますが、かなり古い言い方のようで、当時も使われていたのか謎です。〈社司〉とも読めて、この場合は神主の意味です。当時は反宗教闘争があり、神主なども攻撃の対象であり、こちらでもおかしくはありませんが、やはり〈悪地主〉のあとに続くのは〈庄司〉の方が相応しく思います。3番〈吠〉は、そうとしか見えませんが、獄中の同志の叫びを、犬などが吠えるのに例えるのも謎です。〈古墳〉かと思いきや、〈古い憤り〉で、耳でこの歌を聴いても理解が出来ないであろう言い回しが多すぎです。
さらに、〈二八〉と〈二二〉が何を意味するのかも分かりません。1929年に禁止になっているので、直近で28が付くとなると、前年の1928年の3.15事件が浮かびます。ただ、それなら〈二八の日〉ではなく、〈年〉にするのが自然な気がします。「3.15事件の歌」の歌い出しは〈3.15恨みの日〉ですし。〈二二〉については、全く分からず、22人の犠牲者が出た事件は思い浮かびません。

さて、29ページ目にはこの「復讐の唄」だけが載っています。そして、次のページには「「テロリスト」の唄」が載っています。この曲名の前に「貧乏人は無産者新聞を読め」という文が載っているのも謎な点です。ホッチキスが外れてボロボロなためページが拡げられるので、その写真を上げるとこのようになります。


「復讐の唄」は同じリフレインの〈吾等の赤旗の下に〉で完結していると見るのが自然で、〈貧乏人は無産者新聞を読め〉は次のページの「「テロリスト」の唄」と同じ高さに書かれている点からも、「テロリスト」の副題と考えられます。しかし、こちらの歌はアナキズムな内容で、ボルの無産者新聞とは結び付きません。

「テロリスト」の唄
一.我等は宥さず無産者の自由を無視する
 暴政に六十四州の血はほとばしる
 此処に立てたる「テロリスト」
 (テロリストは佐々木君見たいな人〇〇〇〇〇〇人)
二.暴には暴を持つて迎へよと
 大ナマイトを手に取りて一揆暴動反乱を起し
 いざや輸〇を決しなん
三.勝利を告ぐる民衆の歓呼の声を野に山に
 千代田の森に赤旗立てゝ
 今日そ祝はん大革命

『日本の革命歌』に、「テロリストの歌」と題して数曲載っていますが、そのどれとも似ていて、そのどれとも違っています。特に(テロリストは佐々木君〜)というのはこちらでだけ見られる部分です。が、判読出来ませんでした。(テロリストは佐々木君見たいな人をおんなくる人)と読めますが、意味が分かりません。また、「輸〇」に関しては、『日本の革命歌』では「ゆえい」と平仮名で書かれているものがあり、つまり「輸贏」(勝ち負けの意味、正しくは「しゅえい」と読む)のことだと思われます。
この歌だけは、禁止年月日が記載されていません。

コメント

  1. はじめまして。
    『復讐の唄』にある「悪地主庄司」の「庄司」は、「荘官」という意味(普通名詞)ではなく「庄司」という苗字の「悪地主」で人名(固有名詞)なのでは?と考え調べてみました。
    結論から申し上げますと、この歌は以下の「阿仁前田小作争議」に関するものではないでしょうか。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BB%81%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%B0%8F%E4%BD%9C%E4%BA%89%E8%AD%B0

    「庄司」は秋田県北秋田郡前田村阿仁前田の大地主・庄司兵蔵、「二八の日」は争議団のリーダーたちが自首して乱闘が終結した1929年11月28日のことで、「二二の犠牲者」は農民側に立って収監された二十二名を指していると思われます(参照: https://dl.ndl.go.jp/pid/1086078/1/60 )。
    1929年末に禁止とのことなので、年代的にも辻褄が合うはずです。

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    1. Hさん、はじめまして。

      たしかに、どちらを見ても阿仁前田小作争議に合致をしていますね。
      22人の犠牲者についても、たしかにそうですね。
      この争議については知識がほとんどなかったため、「庄司」が人名だという発想すらありませんでした。

      素晴らしい考察をありがとうございました。

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