『戦斗的無神論者』



『戦斗的無神論者』1931年10・11月号

発行 1931年11月6日
発行所 日本戦闘的無神論者同盟
価格 10銭

1930年代初頭に、プロレタリア文化連盟の一員として活動していた団体の、極めて珍しい雑誌です。

こちらに歌が2つ掲載されており、『日本の革命歌』にも収録されていないので紹介をします。





「女工の歌」と「農民の歌」であり、『日本の革命歌』の女工・農民運動それぞれの貢を見ても、類似したものもありません。
この文章を寄せた徳永鐵なる人物がどこの誰なのか、ハッキリしたことが分からず、唯一の手掛かりになりそうな「丸東工場」についても不明です。
当時の革命歌・労働歌などは、書かれたものとしては残っていますが、実際に当時の人たちの口から歌われていたのか、やや疑問に思われるものもありますが、このような、作り歌い広めた具体的な方法が残っているのは貴重です。

なお、極めて珍しい雑誌ですが、手元に1932年5月号と、前身の反宗教闘争同盟準備会による『反宗教斗争』創刊号(1931年6月15日発行)があり、また、国立国会図書館にも『戦斗的無神論者』1931年12月号があり、中を確認しましたが、歌についての記述はありませんでした。

コメント

  1. コメントさせていただきます。
    こちらも非常に興味深い史料ですね。詳細が不明とのことですが、文中の記述を手掛かりにこれも少し調べてみました。
    この話の舞台は、おそらく長野県の小諸市(1931年当時は小諸町)ではないでしょうか。

    まず、国立国会図書館デジタルコレクションで「丸東工場」と検索すると、製糸工場の一覧など複数の資料がヒットしました。
    「丸東工場」は、長野県北佐久郡小諸町(当時)にあった製糸工場の一つ「株式会社純水館丸東工場」のようです。
    https://dl.ndl.go.jp/pid/1132320/1/73

    また、文中で「ルーテル敎會」への言及がありますが、先ほどの同定に基づき小諸の教会について調べると、プロテスタント系の「小諸教会」(1893年創立)があるとわかりました。
    https://www.komorochurch.com/
    地図で見ると教会の近くには川があり、またそもそも小諸市には千曲川が流れてもいるので「近くの河原に納凉があつて…」という文中の地理描写にも合うと思います。
    上に挙げた『全国製糸工場調査 第12次』を見ると、当時の小諸町には「純水館」の製糸工場が複数あり、さらに他社の製糸工場もあったことが分かります。
    しかし、文中では社名を省いて単に「丸東工場」と呼ばれていることから考えると、もしかすると筆者は同じ純水館系列の工場にいたのでしょうかね。

    あと「農民の歌」の3番は『日本の革命歌』にある「ドンドン節」と「農民組合草津節」の4番に似ていると思いました。
    「農民の歌にしても餘りスローガン式すぎた」とあるのは、この点を指しているのでしょうかね。

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